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ていねいの軸をどこに置くかは自分で決める

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こんにちは、マコト(@mtr_macoto)です。

現代をとても的確に捉えているなぁと思う文章に出会いました。

【危惧】「ていねいなくらし」が横行してる。|スイスイ|note(ノート)

スイスイさんのことは今日初めて知りました。
cakesで連載を持たれていて、二児のお母さんだそうです。
さっそくフォローしてきました。

SNSリンクを貼っておきます。
Twitter:https://twitter.com/suisuiayaka
note:https://note.mu/suisuiayaka
cakes連載:メンヘラ・ハッピー・ホーム|スイスイ @suisuiayaka |cakes(ケイクス)

今回は、スイスイさんの文章を読んで私が勝手に感じたことを書いていきます。

ていねいな暮らしをしている「つもり」が自分を見失う

気がついたら一大ブームになっていた、ていねいな暮らし。
私も例外なく、流行に乗ったうちのひとりです。
流行に乗った自覚はなかったですが、今思えばそうです。
でも、何かを始めるとき「流行に乗りたい」たったそれだけで何かを始める人はいないと思います。

現代人の多くが感じている感情を私も感じただけで
この時代を生き、時代の流れを作るひとりなのだと思う。
そこに使命感なんてない。あるわけがない。
ただ今の空気を吸って生きていたらみんなていねいな暮らしがしたくなっただけ。

あちこちのていねいな暮らし実践者をSNSでチェックしているうち
その人の基準が自分の中の基準になり
あの人はできるのに、私はできない
料理、片づけ、ファッション、ヘアスタイル、メイク…
あらゆるジャンルを網羅しようとするあまり、息が詰まりそうになりました。

「自分にとって」どれがいいのか。
自分に自信がないあまりに、自分の意見を持って行動することは全部間違いだと思っていました。
できないくせに何をえらそうに、って思われたくなかったんです。

でも、誰の人生を生きているわけでもなくて、私は私の人生だから、
私がていねいに暮らせていると思えればそれでいいんだって、
すこしずつわかっていた、だけどまだ自信は持てなかった。

そんななかでこのスイスイさんの文章に出会えて、本当に良かったです。

「ていねいなくらし」無自覚コスプレイヤーだという自覚

文章を一部を引用します。

“ほんとうに”「ていねいなくらし」をしてる人をわたしは尊敬する。
そこでいう”ほんとうに”「ていねいなくらし」をしてる人というのは、わたしがおもうに、どこをていねいにして、どこを雑にするかどうかを、自分で”ていねいに考えて”暮らしている人のことだ。この人たちは、わたしのようにドリップ珈琲を飲んでいる人をばかにしたりしない。なぜなら、どんな選択にしろそこにはこだわりぬいた背景があるかもしれないことを彼らは知っているから。

<ドリップコーヒーはていねいじゃないくらし!>
<豆から挽くコーヒーこそていねいなくらし!>
以上!
そんな答え合わせシート思考でいたら、生命として生を終わらせるそのずっと前にある意味おわっている。

この、コーヒーのたとえ、ものすごくわかります。
「これじゃなきゃ!」そう考えがちな時期、ありました。

ドリップパックのコーヒーを愛用していたのですが、
つい先日、粉とフィルターを別々で買ってコーヒーを淹れるようになりました。
「コーヒーを淹れる時間」についてどうとらえるか。
コーヒーを淹れる時間が好きな方もいると思います。
ドリッパーにフィルターをセットし粉を淹れる作業が、正直面倒と感じました。
できなくはないけど、できればサッと淹れてサッと飲みたい。
でも、たまにはじっくりコーヒーを淹れる時間を取ってみたい。
そこそこおいしければ淹れ方にはこだわらないんだ、という自分の基準を知りました。

なので、今後はドリップパックもコーヒー粉もフィルターも常備していこう、と思いました。
モノが多くなるだとか思う方もいると思いますが、私はそうします。
そんなどちらともつかない、ふわふわした辺りに生息するのがとても心地よいんです。

ただ、それはコーヒーの淹れ方に対してだけであって、
別の側面から見れば自分は圧倒的に無自覚コスプレイヤーです。

「これはこうじゃないとだめ、異論は認めない」という部分を数多く持っています。
自分が良いと思ってやっていることを周りに咎められればすぐに牙を剥きます。

本当はたぶん、世の中に「これじゃなきゃいけない」なんてことはひとつもなくて
すべてを受け入れて認められるようになればそれだけで幸せなのだと思います。

その点において私は本当に未熟です。
はっきりと自覚があります。
でも、その未熟さをあえて露呈させると言う生き方をしています。

私にとってのていねいの軸は「自分の気持ちを大切にする」ということ
ツイッターやブログは脈絡なくなんでも書いているし、
一貫性もまるでありません。
それはきっと周りから好かれにくく、ウザくて面倒くさい行為です。

でも、それが今の私です。
噓偽りなく、毎日いろんな「ていねいのコスプレ」をしています。
だって、やってみないとわからないから。
自分が「本当に気持ちがよいもの」に出会えるまでやってみて、
自分の心地よいていねいラインを探して形成しているところなんです。

一回キラキラしたフリをする、
痛々しくなってみる、
疲れてやめてみる、
また始めてみる。

こういう思いを抱えている人は私だけじゃないと思うから。
まったく完成されていない未熟な自分を発信しています。
もし仮に、いま、漠然と形容しがたい不安を抱えている人が私の発言を読んで、
「あぁ不安なのは自分だけじゃないんだ」って少しホッとしてもらえたら嬉しいから。

数々の失敗をしてきたし、現在進行形で失敗の上塗りをしていますが、
不安なジャンルの数が減ってきています。
不安がなくなったのは、すべて一度とことん突き詰めたものです。

なので、まだまだ未熟ではありますが、それなりにていねいに暮らせています。
目も当てられないほどできないジャンルもたくさんありますが、
それはスイスイさんのいう「雑にするところ」と決めているのかもしれません。
できないじゃなくて、やらないと決めればいいのかもしれません。
まだ、できないと判断するには早計だと思っているので、
もう少しやってみてから判断しようと思っています。

今この瞬間も「ていねい無自覚コスプレイヤー」であふれかえっています。
でもそれは、まだ自分の中の基準ができていないだけであって、
成長段階なのだと思っています。
がんばって〜と手をヒラヒラ振り、過度な応援も、突き放すこともなく、静観します。
がんばっている人たち、
きっと疲れる時が来ると思う、
疲れたらやめていい、
でも疲れるラインがわかってよかったね、
自分で気づいたことが大事なんだ、
また少しずつやっていったらいいじゃないか。
そんな感じ。

自分自身にもこういうふうに声をかけてあげるようにしています。

スイスイさんの文章を読んでここまで書いてきましたが、
意図や内容を理解できている自信はないです。
でも、読んだおかげでここまで文章を書くことができました。
きっかけを与えてもらえました。
ありがとうございました。

読んでいない方はぜひ読んでみてくださいね。
それぞれで感じることは違うでしょうから、
読んで、自分の感想を持ってほしいと思います。

【危惧】「ていねいなくらし」が横行してる。|スイスイ|note(ノート)

それでは!

マコト